co1k.gif LIFE GOES ON......
(1/1)

 
ここに書く内容については、分野を問わず私個人が思ったり感じたりしている事で有り、一部、特定な人物等を
否定するかの様な所も有りますがご了承願います。”いやそれは違う”と思われる所も多々有るかも
知れませんが、これはあくまで私個人の見解に過ぎません。


 ご意見、ご感想等有る場合には、メ−ルにて送信頂ければ可能な限り返答致します。

                                            2004.06.27 (m)


puru-06-k.gif


   fa_l_048.jpg

  生き物を飼う事 2004.06.27 

 動物、特に海水魚のホ−ムペ−ジをいろいろ見ていると’過密飼育は可愛そうストレスがかかる。動物を愛するならゆったりとさせてやって欲しい。人間のエゴでおもちゃ扱いは可愛そう。相性の悪いのは一緒にしてはいけない。アクアリストなら愛情を持て。’等いろいろ目につきます。ただ私はこう思います。魚にしろ動物を飼っている人はそれなりに生き物が好きで十分愛情は有るはずです。魚に限ればいろいろ同じ水槽に入れても見たくなるのは当然の事です。単独で研究をしている訳では無く、見て楽しむ観賞魚であるという事です。ろ過が出来ていれば限度は有るにせよ過密飼育でも問題は無い。それが原因でストレスになる事は否定出来ませんが水槽に入れている以上は、ありとあらゆる物がその原因となっているはずです。自然界の海で泳いでいたとしてもストレスなど絶えず有るものでしょう。第一、ストレスと言う表現自体漠然とした言い方です。水族館でもかなり過密飼育の水槽は好ましく無くともよく目にします。またマナ−として密漁した様な魚は買わない。などいろいろ有ります。ただ密漁だろうが正規だろうが捕まえられてペットショップに並んだ魚はみな同じという事です。もちろん状態ではなく魚の運命がです。本当に生き物を愛すのならば、生き物に手を出さない事が一番良い事なのかも知れません。命有るものを人間の都合で生け捕りにしどんなに良い環境(人間が思うに)で育ていてもそれは大げさに言うと動物虐待をしている事と何の違いも無いと言う事だと思えて仕方が有りません。いろいろ偉そうな事を言っても私も小学校時代からもう30年以上それこそいろんなものを飼ってはいます。動物は確かに人間の気持ちを癒してくれますが相手はどう思っているのか?’こうはするな’とは人間の判断でしか無いと言う事です。飼うからには最後まで責任を持って飼い通すという事が、それこそその動物に愛情を注ぐという事だと私は最近ふと思います。病気で死なせてしまう事も有るでしょうし、どうしても事情で手放さなくてはならない事も有るでしょうがそれは仕方が無い事です。やはり本当に愛するなら飼わないに越した事は有りません。ただそれが出来ないのはそれだけ動物には魅力が有ると言う事の証だと思うのです。


fa_l_048.jpg 

   動物との死別 2004.07.11

 動物を飼い続けていてどうしても避ける事が出来ないのがそのペットとの死別です。私も小学校時代から一時期を除いてそれこそいろんな、変わったものではサワガニ、カネチョロ、クラゲなど飼ったもので小鳥特にインコに関しては何羽飼ったか分かりません。小鳥もやはり飼ってると体調を崩し獣医さんに連れて行った事も何度か有ります。ただ私の住む長野市には犬猫以外に詳しい獣医が居らず(もしかしたら居るのかも知れませんが)何度かかよっても結局回復せずにして死なせてしまいます。元気な時には、たかが小鳥であってもむきになって怒ったりもしますし少しいじめたりもします。死んだペットを見て自分の所に来た為に早死にさせてしまったのだろうか?などど思ったりして、もう二度と生き物を飼うのは止めようとその時はいつも思います。前回、動物虐待の事に少し触れましたが実は私自身がある人からそう言われたのです。どんなにセンチメンタルな事を言っても、いかにも動物の事を思ってる様な事を口では言っててもと...それこそ心に動物の事を思うなら飼わない方が良いのでしょう。誰もが飼わなければ狩猟する人も居なくなるでしょうから。話が飛躍してしまいましたが、やはり私にはペットを飼わずに居るという事は出来そうに有りません。当然多くの動物は寿命が人間より短い為病気などしなくとも先に死んで行ってしまいますが、飼うからにはその覚悟を常にしておく必要が有ります。小鳥1羽死なれただけでも大の男が1ヶ月近くも悲しくて気の抜けた様になってしまいます。

  fa_l_048.jpg 

生き物の共存 2004.07.26

 同じ種類の動物の飼育で気の使うのが共同飼育です。人間もそうでしょうが動物の残酷さは目に余る物が有ります。ただ一般に言われているからと言って必ずしも仲が悪いとは限りません。私の所のインコですがボタンインコとセキセイインコは力がかなり違う為絶対一緒には飼えないと言われましたが我が家のはまったく問題がありません。たまに喧嘩はしますが毛づくろいなどし合って微笑ましいことも良くあります。非常に残酷に思えるのが魚です。自然界では群れを成して泳いでるのにもかかわらず水槽の中では同種どうしでそれこそ片方が死ぬまで攻めまくります。弱肉強食の世界は確かですが水槽でエサも十分に有るにもかかわらず意地悪をし他の魚に食べさせようとしません。潜在的な本能なのか、容赦無い攻撃を目の当たりにすると’この野郎’と思う事もしばしばです。私の知人にあまりのいじめにそのいじめている魚を水槽から出して捨ててしまった人がいますがその気持ちは非常に分かります。初めからその様な魚は飼わなければ良いのでしょうが相性が良いとされてる魚同士でさえ必ずしもそうとは限らないのでそれを言ったら限が有りません。ライオン、トラなど良くテレビで見ますが、やはり動物は私などが考える以上に残酷な生き物なのかも知れません。

fa_l_048.jpg

動物の殺害 2004.09.03

 私の住む長野県の地元、軽井沢で本日1頭の子熊が害を及ぼした訳でも無く殺害されました。2歳のフ−フ−と名までつけられた子熊です。過去に一度里に仕掛けた罠にかかりその時は山に帰したのですが今日再び現れ殺害されました。今年から長野では、2度捕獲された熊は害を及ぼさ無くとも殺す様になった様です。ちょうどニュ−スでやっておりましたが V今心臓が停止しました’と。体もまだ小さく害を人に与えた訳でも無く農作物を荒らした訳でもありません。同じ熊が2度捕まったと言う理由のみです。何頭か人里に下りて来て害を及ぼしている熊がいるのも現実な為この熊もそのうちその様になる可能性は否定出来ません。地元でも当然賛否両論が有り非常に難しい問題ですが私としては、どうにもいたたまれない気持ちで仕方が有りません。この映像を見て非常に後味の悪さが残りました。同時に考えさせられる所も有ったのも否定出来ません。

fa_l_048.jpg

バカ野郎共 2004.09.03

 やはり先日私の地元の浅間山(群馬県境)が噴火をしました。規制された場所も一部解除され、ふもとの軽井沢にある名所 ’白糸の滝 ’も立ち入り禁止が解除されるやいなや、大勢の人達がが詰め掛けております。比較的小規模だったとは言え、二次噴火の恐れも有るとはっきり言っているなかで、もう少し行くのを待てないのでしょうか?解禁になれば当然入る事が許可になった訳ではあり、規則を破っている訳では無いにせよ、カメラを向けられると噴火をしたから逆に見に来た等、‘ バカじゃないのか ’とつくずく思います。余計なお世話でしょうけど家族も居るでしょうし?そういった事も少しは頭に浮かば無いのかとニュ−スを見ていてつくずく思いました。噴火後わずか2〜3日しか経ってないにもかかわらず、はるばる他府県からも大勢の人達が見に来てるのには厭きれてしまいます。花火の打ち上げでも見に来る感覚なのでしょうか? ”もう少し来るのを待てないのか、カメラ目線でイエ〜と言ってる場合じゃ無いだろう、このバカ野郎共 ”まさに私の独り言に過ぎません。

fa_l_048.jpg

自然破壊 2004.09.05

 これまた地元長野の上高地が壊れて行くと本日ニュ−スの特集でやったのを見ました。以前は良く目にした岩魚がめっきり減り本来居ないはずの外来種のブラウントラウトとか言う斑点の多くある魚がうじゃうじゃ泳いでる所が映ってました。誰かが以前放さない限り決して生息する様な場所では無いとの事です。池に居るカモも本来人間を見ると逃げるはずが逆に手を出すと寄って来ます。この光景を見る限り、なついていて可愛いなと私は思ってしまいましたが、とんでも無い事の様です。動物保護区でも有り大自然上高地の動物が餌づいているなど恥ずべき事で動物園とは訳が違うと。毎日ここを監視している保護官の人が言っておりましたが年間約2百万人の観光客が訪れるそのマナ−の悪さを指摘しておりました。確かに動物にエサを与えるなとそこらじゅうに看板が有るにも関わらずそんな事はお構いなしです。ブラウントラウトも人間がエサを撒くので逃げもせず貰えるのを待ってます。種類は違っても同じ動物を飼っていてふとこれまた考えさせられる事が有ります。動物はなついて来れば来るほど可愛く愛情も沸いて来るのですが本来そう言うものでは無いのでしょう。上高地の川の中に小銭がいっぱい落ちているのにはビックリしました。誰かがお賽銭のごとく記念に入れたのが初めか、どんどん増え一面お金の川です。そんな事は人から言われなければ分からない事でも無いと思うのですがあまりの非常識者が多く居る限り自然破壊は無くなるどころか目に見えて進行して行くのでしょう。残念な事ですが。

fa_l_048.jpg

どこまで進む近代化 2004.09.22

 最近歳のせいでしょう?子供の頃の事をふと思い出します。都会に住んでいる人は地方(田舎)の自然を羨ましいと思う方も居るでしょう。私の住む長野も典型的な田舎でテレビなどで見ると山里深い険しい所の様に思えます。しかしテレビはそういった所のみ強調してるに過ぎません。もちろん私の住む長野市内からも車で1時間も時間をかけずとも山深くの所まで容易に行く事は出来ます。ただありとあらゆる場所が整備され高速道路、新幹線、オリンピック施設跡そしてプロ野球球団をも持って来ようとしています。実は私自身、近代的、オシャレな生活?に憧れ学生時代は東京に喜んで行き会社員の時も一時東京で暮らしました。どういう訳かやはり年のせいか30歳過ぎ頃からかふとこの発展ぶりに不快感を感ずる様に成りました。現状に満足していたら進歩が無い進歩が無ければ発展もしないと言います。しかしいったいどこまで発展させれば気が済むのか?医療関係など技術の進歩で助かる部分が多いのも事実です。昔ながらの風景(自然)を壊し便利と言うだけで何もかも近代的にしてしまうのが本当にみなが望んでいる事なのか?私は少なくともそうは思いません。私の周りにもかつてはクワガタやカブト虫が飛んで来てドジョウやフナもすく近くの田んぼでよく捕れたものです。今ではその跡形も無く立派な道路、建物に姿を変えました。当然それまで居た生き物は追い出され行き場を失い二度と来る事は有りません。日本人の5人に1人が65歳の今、高齢者やハンディキャップを持った人々に関係した方面の発展、進歩は望まれても文明人をより一層文明人にする為の発展などこれだけ裕福な日本において必要なのでしょうか?現状に満足する事もそろそろ必要だと私は思います。テレビで放映される地元長野の映像を見て我ながら懐かしく思う事が良く有るのが不思議です。

fa_l_048.jpg

暇人なのでしょうか? 2004.11.12

 知人、親戚など海水魚を飼っている水槽を見ると、”綺麗だなあ”と良く言ってくれます。そう思うのなら飼って見たらどうですか? と言うとほとんど ”お金も無いし、そんな事する暇が無い” と言います。まったく面識も無いネット上での方もやはりそう言う方がおります。私など魚以外、鳥、カメ等他にも飼っているので、よっぽど暇に見えるのでしょうか?お金など私も決して有り裕福な訳では有りません。何気なく発するのでしょうが、そんな暇が無いと言う事は、暇人だから動物を飼っていると言いたいのか?と少し考えてしまいます。決してそんな事は有りません。そもそも生き物を飼うと言う事は暇うんぬんなど関係も無く ’ずく’ が有るかどうかと、それだけの事です。誰しも忙しい中、限られた時間の一部を趣味に注いでいる訳です。本当に忙しく、なかなか家にも居れない人も居るでしょうが、多くの人はそんな訳も無く、又私の知る限りでも動物を飼えない位忙しい人など一人もおりません。そんな暇が無いと言ってる分にはそれこそ何にも出来ません。24時間監視していなければならない様な生き物など普通は何処にもおりません。鳥などは比較的こまめに見てやる必要が有りますが、それでも2〜3日旅行で外出した位平気です。その気が有るか無いかの違いに過ぎません。7時間睡眠をとっている人なら6時間にし6時間の人は5時間にすれば生き物など飼う事はちゃんと出来ます。容易な事では無いかも知れませんがその様にして飼ってる人も居ると言う事です。誰から強制された訳でも無く自分が興味を持って好きでやってる訳です。それこそが趣味と言う物では無いでしょうか。くどい様ですが決して暇の有る無しで無く ’ずく’ が有るか無いかの問題だと私は思います。

※ ’ずく’とはもしかしたらこちらの方言かもしれませんが、やる気を起こす、あえて没頭する、体をその事の為に動かす、などの意味です。

fa_l_048.jpg

貧困 2004.11.22

 ちょうど数ヶ月前の事、私が以前良く拝見させて頂いてた熱心な海水魚飼育者達の掲示板にテレビで放映された海水魚、珊瑚などの違法採集(薬物使用)に関するいろいろな意見が交わされました。今まで思いもしなかったのか?フィリピンで薬物を使用し海の生き物を採集しそれが日本に輸入され飼育者の手に渡っているとの事で、その背景には現地の人々の貧困が深く関わっているとの内容です。到底、私などにどうする事も出来ずあまり無責任な投稿も出来ない為、その後は他でのその事に関する書き込みは止めました。しかし、また数日前同じ様な内容の記事を見つけ、圧倒的に貧困を理由に自然破壊をするとはけしからん。との意見に目が留まり,ここ自分のコラムとして私なりの考えを記そうと思いました。薬物採集など当然、違法行為とされている訳で誰が考えても悪い事に違いは無いでしょうし、それが仮に生物採集で無くとも違法行為全て処罰されるに値する行為では有る事など容易に察しがつきます。弁解の余地など無いでしょう。ただ今回のこの事について”そんな事するのは最低人間とか、自分が良ければ他はどうでも良いのか?、悪い事を犯したと言う意識は無いのか?”等についてですが、私も数年前まででしたら、おそらくその様に考えたと思います。仕事がら私は東南アジアに行く事が有り、今回採り上げられたフィリピンにも行きます。全ての面で恵まれた日本に暮らして居ると目にする事も有りませんが、至る所で小さな子供が物を売るのが嫌でも目に入ります。いわゆるストリ−トチルドレンをです。車が止まると寄り添って来て、自分で摘んだのか?小さな花束をそれこそ日本円で5円ほどでも売ろうとします。車が走っている時はかなりのスピ−ドも出ている為危険そのものです。それで事故にでも遭ったのか片腕を切断しそれでも毎日売り続けております。この片腕の無い子を見たのはもう何年も前ですが今だ私の脳裏にこびり付いて離れません。どうして小学校前の小さな子供に親はそんな事をさせるかですが、全ては生きる為です。親なら当然我が子にそんな事などさせたく無いに決まってます。大人より小さな子供の方が観光客などは買ってくれると。仕事もせずそんな事では一向に暮らしも良く成らないと言う人も居るでしょう。確かにその通りかも知れません?がそれは、やはりあくまで恵まれた国に暮らす人の考えだと私は思います。話を聞けばみなで無いにせよ決して働きたく無い者ばかりでは有りません。働きたくともまったく仕事など無い状況の上、国の体制上の問題もかなり大きな要因です。むしろ多くは、何でも良いので職さえ有れば働きたいと言うのが私は感じました。フイリピンのみならず隣国の他でも同じ様な光景を目にします。今日何が口に入るか、もしかしたら何も食べられない。そこまで深刻なのです。世界の人口、約62億人その内で毎日食に有り付ける人はわずか、そのまた腹いっぱい食べられる人はほんの一握り、その一握りの中に居る日本人には私を含め到底理解出来ない事です。そんな背景も今回の事にまったく無関係だとはどうしても私には思えません。決して相手の方を持つ訳では有りません。私だって少し位現地に行ったからと何が分かる訳でも有りませんが、余りに恵まれた日本に暮らして居ると気付く事もないでしょうがそう言った現状が有る事は事実と認識しておく必要が有る気がしてしょうが有りません。最近、北朝鮮の貧困の無残さをテレビでよく目にしますがフィリピンでも5歳未満の子供の死亡数87000人/年、死亡率42人(出生1000人当たり)、開発途上国では1100万人の子供達が年間5歳の誕生日を迎える前に命を失っています。これは数年前の統計では有りますがまだまだ食べ物すら満足に食べられない国々は幾らでも有ります。だから我々に今何が出来るか、何をしてるかと問われても満足のいく答えなど出ません。貧困は貧乏とは訳が違います。まったく比べ物にならない程、悲惨なものと言う事を感じずには居られません。
※2005年現在:世界の人口約64億人

 

fa_l_048.jpg

感心させられます 2004.11.22

 日頃の行いが悪かったのか、不運か8月6日の夜中に交通事故に遭い停車中の私の車に真後から後続車に追突され、案の定、頚椎捻挫で先月まで2ヶ月以上、首のリハビリに通う破目に成りました。毎日1時間、今回初めて通い出したのですが指導員と言うのでしょうか?リハビリをしてくれる方々の若い事には驚きました。20歳前半程の男性、女性の多さには。その一人一人が体の不自由なお年寄り、あるいは、もともと肉体的にハンディキャップを持ってる方に対し優しく接しております。とても熱心に介護をしているその姿には頭が下がります。私も以前少し介護の仕事に興味を持った事も有るのですが、到底、そんな生半可な気持ちで出来る様な仕事ではない事を目の辺りにし、その大変さを感じる毎日でした。高齢化がどんどん進む日本ですが彼らを見ていて頼もしさを感じたのも事実です。いろいろ言われる中で、こう言った若い方も大勢いるのを見て本当に感心をさせられました。

fa_l_048.jpg

英語教育 2005.02.19

 あたり前の事では有りますが年々技術は進歩し近代化し続け日本もどんどん国際化し続けているのは誰が見てもその通り否定出来ません。この国際化という言葉は私の学生時代より遥か以前から言われ続け私も国際的な人間に成りたいと思ったものです。当然それに伴い国際語とされる英語を身に付けなければ始まらないと思い中学では好きでも無かった英語がふとしたきっかけで好きになり急に高校時代から力をいれ大学(中退)専門学校と英語を勉強しました。語学は英語に限らず徐々に興味が沸きそのおかげで輸出入の仕事もでき、現在も不調ながらそんな仕事をしております。そんな中、年々感じて来た事は、今の学校での英語教育など必要が有るのかという事です。中学で3年、高校で3年の6年間やった所でどの位その後役に立つかです。役に立たない事は無駄と言う事では決して有りませんが話す語学に関して言えば不十分な所は有れ年々翻訳機、国際電話での通訳機能等の技術も向上しております。英語と言う学問?を学生時代に強制的に学んでも言葉としての英語などまったく身に付かずしゃべる事など出来もしません。そもそも学校で教えている英語の先生自身、英会話など話せる人がどの位居るのか疑問です。中学、高校の英語担当の教諭をアメリカに研修に連れて行った所、ろくに挨拶も英語で交わせないなどと言う話も今にして耳にする事でも無く私も何度となく聞きました。もちろん立派に話す人も居るでしょう。しかしそんな指導者を責める事は真にコクで有る気もします。英語担当にして見れば一生懸命に日夜生徒以上に勉学に励んでいるに違い有りませんし。問題は日本の英語教育が今までそれで通って来てしまったと言う事、”コミュニケ−ションの手段としての英語”教育を無視し続け受験の為だけの外国語として教えて来た事に深刻な問題が有るのだと痛感します。そもそもこの日本で暮していて英語がしゃべれなく不自由など感ずる人など居るでしょうか?外国の方を目にするのも今ではまったく珍しい事では有りませんが英語で話し掛けられたならここは日本、日本語で応えれば良いのです。私も学生時代、外国人を見たら良いチャンス勉強の為英語で話かける様などと言われたものです。が一般人がわざわざ英語で話しかけるなどするから日本に来てまで自国語でしゃべろうと彼らも勘違いするのです。日本に来るなら日本語くらい少しは勉強して来い位の気持ちを持つべきです。当然その反対に日本人が海外へ行く時はその国の言葉位仮に観光で行くにせよ多少なりとも知識を得てから行くのが常識ではないでしょうか。その様な事も無い人は何も英語など勉強する必要性が私には感じられません。最近は小学校から全て英語のみの学校なども出来て来た様ですが、正に本当にやりたいならその様にして専門分野にでもした方がよっぽどいい。興味を持つか持たないかまず学んで見なければ分からないでしょうから中学位まではやはりその授業は有るに越した事は無いでしょうが高校以降必須でやる必要など何処にも無い気がします。医学、法律などと同様にそれこそ当初から専門分野にすべきだと私は思います。仮に今は学校で英語などの授業など無くともテレビでそれこそ生の英語が何時でも学べます。私の頃はそれこそNHKの2ヶ国語放送が始まったばかりでチュ−ナ−をわざわざ買い一時の英語放送やFEN位しか無くそれに比べればその気が有れば幾らでも生きた外国語が学べます。国際化が進むに連れ外国語に精通した人間がますます必要になる事は事実でしょう。しかし一般に良く言われる様に学校教育の英語が益々必要になるか?いや逆ではないでしょうか?。益々普通の人からは必要が無くなって来る。ごく一部、通訳、翻訳家等の育成こそどんどん必要になるでしょうが。またそうするべきだと私は思います。また、そもそもカタカナが日本人の英語オンチを引き起こしている最大の理由の一つだと言われます。4〜5年位アメリカに留学したからと言って思ったより英語が上手く話せない、聞けないなどざらです。かと言って1年でも驚く程上達すれば海外など行かずとも幾らでも上達出来るのが語学です。私もいろいろ言っても今だCNNやBBCを聞いたり努めてしておりますがまったくたいしたもんでは有りません。何年やってもろくに話せない日本の英語教育の義務化はもう止めスペシャリストとしての教育に切り替えた方が良いのでは無いでしょうか?英語に興味を持てば自らやる様になるが興味が無ければ大学までの10年もやっても I can not speak English at all.です。

fa_l_048.jpg

英語教育について補足 2005.04.02

 前回、英語教育の事で私なりに日頃思っている事をここに書いたのですが、思っている事等は人それぞれで有る事は十分承知の上で書いたものです。このペ−ジの全てそうで有る様に正に私の独り言で有ります。しかし私個人としては今まで記した全てがその時々に突発的に思った事などでは無く常々感じていた事がその時(ここに書いた直前)見たり聞いたりして改めて感じた事で有る事に相違は有りません。前回書いた英語教育につて私が不快に思ったメ−ル等は一通も頂いてはおりませんが私の表現の乏しさや語彙不足などから多少成りとも誤解を招く所が有ったかも知れませんので少し補足を致します。今の英語教育と限らず全て仮に無駄と成ってしまう事だとしても初めからそれを行う事が意味の無い事などと言う事は決して有りません。それまでの過程で生ずる努力等その後の人間形成に役立つ大切な力とも成るでしょう。日本から今の英語教育を全て無くすべきとも思っておりません。島国である日本ではなおさら他国との貿易がこれからも必要で有る事に間違いなど無い事は言うまでもあ有りません。以前は貿易にはスペイン語が不可欠とされておりましたがスペイン語で無くとも国際語である英語はやはり必要不可欠どころかこれからも益々必要となって行くに違いは有りません。海外旅行もこれだけ何処でも手軽に行ける様になり実際に年々増加しているのも確かです。当然英語は渡航先で必要となります。しかし海外などにまったく興味も無い人も少なく有りません。英語を使って見たいから英語圏に旅行したい、或は英語を使う職業につきたいと思う人はそう思った時から自分がやれば良い事だと私は思うのです。親が自分の子供にそうさせたいと思うので有れば小さい頃からでも、ある程度の年齢に達した時からでもそう仕向けて見れば良いのではないでしょうか。それによって子供がその道を選ぶか或は自分にはどうも合わないと判断すればそれで良い事です。やりたくとも学べる所が無ければどうしようも有りませんのでやはり私は前回も書きましたが中学校でその授業が有る事には否定をしておりません。ただ本来今は仮に義務教育の中でそれを行う必要性が有るかは依然疑問です。いろいろな手段で触れる事が今は出来るからです。またやはりいまだに中学校、高校で教える側の問題があるからです。英語は語学では有りますが生きた言葉です。今の試験の為の学校英語はどうしても喋らす英語とは思えません。必須科目に組み込まれた英語の授業はやればやる程嫌いになって行く生徒が増えるだけだと思えて仕方が無いのです。卒業して英語の不必要性を改めて感ます。通訳、翻訳などの良し悪しはどれだけ日本語の語彙が有るかで決るとさえ言われる程自国語の方が数段大事です。国語教育を削ってまで外国語である英語を重んずる必要などまったく無いと思うのです。国際社会が進むにつれより正確な英語が必要になって来ます。翻訳ソフトなどもだいぶ普及し、それによって益々楽になってもおります。ただまだまだ正確差に欠けている事は事実です。このwindowsXPにある翻訳ソフトもI love you はちゃんと翻訳が出来でも i love you とIを小文字にしただけでまったく意味不明な事を打ち出します。通訳でも同じ誤訳も絶えません。その方の発展に力を入れるべきでその様な職業に携わる人達の為に英語は専門分野にした方が私は良いのではと前回申し上げたのです。どこかの英語学校のコマ−シャルで英語くらい話したいなどと英語を真剣に学んでいる人が聞いたらとても不愉快に思える宣伝をしている所が有りますが英語はくらいなどで有りません。たかが英語ともとれる言い方、そのたかが英語を喋れる様に一生賢明勉強をしている人が大勢いるのです。ちょっと喋っただけで日常会話位とこれまた平気で出てきますが日常会話が普通の生活で必要な会話の全てです。日常会話が出来ればば母国人となんら変らない位英語が喋れるのです。日常会話以外何の専門英語がいるのでしょう?その日常会話をマスタ−出来る様に必死で何年も勉強をしているのです。その人達の為にも英語に限らず外国語の教育方針を変えた方が良いと私は感じているだけです。最後の所は私の感情そのものですがスペリング一つ違っただけて×にされる様なもので英語は決して無いものだと私は思います。

fa_l_048.jpg

魚の死 2005.04.06 (2005.09.08 改)

  海水魚を飼う様に成ってかなり経ちますが、その前には淡水魚にも手を出し10数年が経ちます。そのきっかけは元々生き物が好きで有った事と無理であると思っていた海水魚が自宅で飼育出来る事を知ってからで有ります。海水魚だけで9年程経ちますが当初は分からない事だらけで有った飼育方法も、徐々に仕組みが理解出来る様に成り、しばらくは何年も順調に来ておりました。ところがここ数ヶ月の間に何匹もの魚が続けて死んで行き、それを見ながらいろいろと今までまったくと言って良い程思わなかった事をふと思う様に成って来ました。私は小鳥も魚以上に何年も飼育をしておりますが、必ず直面してしまうものがその生き物の死です。可愛がっていた小鳥も、もう何羽も今までには死んで行っております。自分が世話をしていた小鳥が死んでしまった時の悲しさは、しばらく跡を引き、非常に悲しい想いが残ります。しかしそれが魚ともなると、死んだ時にもそれほど悲しいなどと思った事が何故か無かったのです。可愛そうな事をした位で、それこそ小鳥よりはるかに高価な一匹でもです。値段など関係など有る訳では当然有りませんが、安く購入しようがお金など払わなく自分で捕まえて来ようが、命にはまったく関係など無い事ですから。一晩寝れば魚が死んだ事などはそれ程苦にもならず、また空いてしまった水槽に新たに魚を加える。正にその様な事の繰り返しで有りました。ところが本日また一匹の魚に死なれてしまいました。数日前から私が見ても明らかに体調の悪さを確認出来た為、出来る限り観察をする事にしたのですが結局は息絶えて、先ほど私の目の前で死んでしまいました。まだ小さい幼魚で私の所に来て数週間の魚です。私の知識の中での出来るだけの事はしたつもりでは有りますが、元気に成る事も有りませんでした。最後はもはや見ている事しか私には出来ず、今まででしたら気がついたら死んでしまっていたのが常でしたが、今回はその死を最後まで目にすると、やはり小魚とは言え何とも言えない悲壮感が残ります。呼吸もだいぶ早く、何度も横に倒れ、それでもその都度起き上がり少し泳ぎ出す。そして又その繰り返しです。一生懸命に生きようとしている、その姿は、鈍感な私にも嫌でも伝わって来てしまうのです。魚で有ろうと苦しいのでしょう。あとわずかで死んでしまう事は明白です。大げさに言うと命のはかなさをこんな小さな生き物からも感じてしまいます。普段はそれこそ、魚の刺身それも活造りも平気で食べますし、魚は魚くらいにしか思った事も有りません。自分の飼っている魚には命の尊さを感じ、普段食べている魚には感じないなどと言う事は、まったくおかしな話では有ります。普段好意にして頂いてる秋田の同じ飼育仲間の方とも、そんな事を話したのですが年齢と共にそんな事をも考える様に自分がなったのでしょうか?鳥だろうが、魚だろうが、人間だろうが、みな命が有るものに違いが無い気がします。もういっその事生き物を飼うのは止めようかと、またしても思いました。他人から見れば、そんな事を思うのであれば、飼わなければ良いと誰もが思うでしょう。しかし何度繰り返したら気が済むのか、居なくなった水槽を見るとそれも出来ない自分で有る事に気付きます。また新しい魚が来てもこれから先、そんな事を常に思うでしょう。まったく自分勝手な考えなのかも知れません。

fa_l_048.jpg

人種差別 ? 2005.07.20

 もうかなり前、私の小学生時代、国語の教科書にだったか、副読本で有ったかまでは定かでは有りませんが”ちびくろサンボ”と言う物語が有りました。とてもユニ−クで面白く国語が大嫌いであった私も、この物語は今でもハッキリと覚えております。最近また話題と成りそのユニ−クさが人気が有る様で書店にも並んでおります。しかしその名前や内容が人種差別に値すると問題に成っており先日もニュ−スで取り上げておりました。何でなのか? サンボと言う名前自体、とある国では差別語です。しかし原作の国(何処か忘れましたが)ではまったくその様な事など無く親しみが有る名前でも有る様です。これに限らず今に成って何故良いだの悪いだの言うのでしょうか。人種差別に限らず人を差別する事など良い訳が有りませんし、貧困などと同じく深刻な問題で、その行為は今だ行われております。しかしこの本に対する批判は何か少し違う感じがします。このちびくろサンボなどおそらく私位の年齢の者はほとんど覚えているでしょう。そもそもこの本は子供が読んだ本で有り、大人が読む様な本などでは有りません。小学校の頃に主人公である黒人の少年サンボを見て肌の色が違うとは思っても差別した目で読んだ人などどの位居たかです。子供で有る故、黒人の子供を本の中でとは言え笑ったり、面白がったりして見た人は多く居るとは思います。単純に面白いから笑ったので有り馬鹿にして笑ったのでは無いでしょう。親しみも有り、面白かったからこそ、今なお覚えており、また書店で目にした時には懐かしく思ったのでは無いでしょうか。どういう訳か今に成ってそれを見た何人かの大人が差別だなどと言っております。その種の本を見て仮に差別的行動を子供がとったとしても、子供などそれに限らず時にはとても残酷な事を平気でします。犬や猫などの動物も虐める事もすれば昆虫なども平気?で殺します。子供同士の喧嘩もそうです。私の子供の頃は昆虫採集(標本)セットなどと言うものが流行り、カブト虫など捕まえて来ては注射器で殺し標本にしたものです。今に成って残酷な事をしたものだと反省はしてみても仕方が有りませんが、そんな時代でした。実際に黒人の方の中には、この本を見て不快に思っているいる人も居るのは事実の様ですが、かなりの日本人の大人が抗議をしている様です。小学校で男の子が黒いランドセルで女の子が赤いランドセルと分けるのは差別だと言った女性議員がおりました。七五三のお祝いも差別だとも言っておりましたが、私には理解出来ません。区別する事自体が差別だとすら聞こえます。電車の女性専用車両、レストル−ムなどはどうなのか?と聞かれたら何と答えるのでしょうかこの人は。また少し話が飛躍しますが、生き物を殺したり、人を差別する事は恥ずべき事では有りますが、必要以上にそれに敏感に成り過ぎ、常に子供は大人の顔色を伺い、大人は他人の顔色を伺いながらで無いと何も出来なく成ってしまいます。(私もここでは好き勝手に書いておりますが、)そうで無いと、怖くて物事を自分で決められなく成ってしまうのでは無いかと不安に成っても当然です。何か子供らしさをどんどん大人が無くしている様に思えて仕方が有りません。この本が再版されたのには、その良さを知っている人が大勢居た為でも有り、子供に読ませたい本だと思った人も大勢居るからです。知らないうちに差別をしていると言う事も有るでしょし、出来るものなら、そうはしないに越した事は有りません。けれども、それを言い出したら限が有りません。この本には良い所もいろいろ有る事は事実なのですから。物事の良し悪しなど親が自分の子供に教え聞かせるものではないのでしょうか。無責任な事を言うなと言われるかも知れませんが、小さな子供などまったく”ノ−天気”で有り、ちびくろサンボを見る小学校低学年位の時期など、悪気などまったく無いのではないでしょうか?差別と言っているその大人こそ、それをした事が有るか或は、その気持ちが出入りしているのではないのかと、私には思えて仕方が有りません。

fa_l_048.jpg

ペットの死んだ後 2005.09.07

 ペットを飼っていてると、その死はどうしても避ける事が出来ません。飼育期間が長ければ長い程、いろいろ多くのペットを飼えば飼う程、当然の如く嫌でも経験をしてしまいます。小さな昆虫から大きな動物まで種類は違っても、どれも皆生きている時には我々飼い主を癒してくれた貴重な生き物ばかりで有った事には違いが有りません。そんなペットが死んだ後の処理は人それぞれの考えたやり方が有るでしょうし、どれが正しい対処の仕方などと言うものでも無いのでしょう。処理とは何か私自身も物扱いの様な感じがしてしまいますが、一般に使われますので、あえてここでもそう書きます。昆虫、例えばスズムシなどの様な小さな虫が死んだ場合、土の中に埋める、川に流す、ゴミ箱の中に捨てるなどいろいろ有ると思います。魚、鳥、猫、犬etc.大きくなればなる程大変です。その方法については、どれでも構わないのではと私は思います。個人的に私は小鳥を子供のころから何羽も飼っている為その分かなりの数も死んで行っております。以前買い今も有る飼育本には、小鳥の死んだ後は30cm位土を掘り、犬、猫などが掘り返さない様に埋めてやるのが良い方法と書いて有りますし、そうする事が良いと思う人は大勢いるかも知れません。実は私はその様には思わないのです。死んだ後の体には魂がもはや有りません。抜け殻に成ってしまったのです。乱暴な言い方の様ですが、抜け殻に成ってしまったからもう用は無いなどと言う事では決して有りません。今まで飼い主を癒してくれていた大切なペットで有った事には何の違いも有りません。ゴミ箱なんかにとは極端でしょうが、仮にそうしたとしても、生きていた時の有りがたさを、忘れた訳では有りません。昆虫一匹土の中に埋めてやるのも良い事でしょうし、小さな子供がそうしているのを見る事も有りますが、大切な事は、埋めるにせよ何にせよ今まで自分を楽しませてくれた、癒してくれた、ペットに感謝するその気持ちを持つ事だと思います。犬、猫、などのお墓が今はあちこちに有りますが、そこに入れたから一層想いが深い、入れなかったから薄いなどと言うものでは有りません。ただそうする事により時々そのお墓を見て、生きていた時の事を想い出し、心の中でその死んだペットの事をもう一度想い出して手を合わせる。正にその為には良い場所だと思います。死んでしまったペット、どう処理しようが、その飼い主の気持ちの問題に尽きるのでは無いでしょうか。それが虫で有ろうが犬で有ろうが。私は自分が可愛がっていた小鳥が死んだ後は軽く土を掘り大好きだった餌を少し入れ一緒に埋めます。その時には非常に辛いですがどうし様も有りません。その後他の動物がその埋めた体を堀起したとしても構わないと思っております。そこに虫が付き虫の餌と成ったとしても、それは自然界の流れでも有り、土に返るのもそれもまた自然の仕組みで有ると思うからです。私のこの考えは間違っているのかも知れませんし、その道に携わっている人にはお説教をされてしまうかも知れません。しかし私は、死んだ後のそのペットの魂は虫、魚、鳥、猫、犬その他全てに関わらず飼っていた人間の心の中にこそいつまでも存在するものだと思っております。また付け足すと人間だとしてもまったく同じだと私は思っております。

fa_l_048.jpg

今の若い者でも 2005.11.28

 サラリ−マンを辞め一人で仕事をする様になって、そろそろ10年近くになります。景気の良かったのは初めの2年程で、その後景気が戻る事も無く今なお不景気のど真ん中です。独立してそれまで有った緊張やら、いろいろな面から開放された反面、経済的な心配は常に付いて回る現実も嫌でも感じざるを得ません。その心配を少しでも減らす為にと現在私は、週1日の休み以外夜中の3時から6時30分まで新聞販売店で副業をしております。夜中なら本業の邪魔にもまずなる事も無く、もう少し景気が回復するまでと始めたものが、もう7年目にもなってしまいました。新聞配達をする人の為、チラシの準備をしたり、入れたり、それを時間までに配達が出来る様にする事。そんな事をやっております。最近の若い者は仕事もしないで、何でも長続きしない根性が無い、いろいろ言われますし良く私も耳にします。確かにその様な傾向は有るのかも知れません。しかし若い者が全てそうだと言う事はもちろん有りませんし、誰もがそんな事は承知の事でしょう。今のこの副業をする様になってから、多くの学生、若い人を見ていて、いろんな事を思います。新聞配達など高校生も多く、ごく普通の主婦、昼間仕事を持っている人と、今のこの時代いろいろな人がおります。学生もまた大勢おります。普通の人が寝ている真夜中それも冬場の零下のちょうどこれから来る季節などは、決して楽な事では有りません。若い人でも、休まず毎日配達をしている子は幾らでもおります。自分が学生の時それが出来たか?と考えて見ると、疑問です。直ぐに辞めてしまう子も何人も居ることもまた事実ですが、30〜50歳位の一番働き盛りでも有る人でも続かない人は大勢おります。常識も有るであろう人が覚えたかと思ったらアッサリ辞めて行きます。何の連絡もよこさず、それっきり来なかったり、挨拶もろくにしない。むしろ大人の方が多いのではと思ってしまう程です。若い人が全て、大人が全て、などと言う事は言うまでも有りませんが、若い10代でも携帯電話の料金を自分で払う為に、毎朝寒い中を休まずガンバッテいる頼もしい子供も大勢いる事にはいつも感心致します。

fa_l_048.jpg

犬猫の殺処分より 2006.11.23

 昨日崖っぷちに取り残された一匹の子犬の救助の様子をまた今日もワイドショ−で取り上げていました。まだ約6ヶ月のメス犬だった様で、野生とは言え動物好きで、特に犬が大好きな私には、可愛そうに思いながらも、可愛らしくも映り見入ってしまいました。一週間近く取り残されていたせいで、見ても痩せている様子が良く分かります。早く、無事救出してやれれば、と思いながら見ておりました。救助隊の努力の甲斐が有って無事救えたのを見てホットしました。50メートル地面から上で、人間を救うより難しいと言ってた人がおりました。新潟の災害の時もそうでしたが、命がけで、他の人、動物の命を救う救助隊の人達は、並大抵な精神力では務まらないでしょうし、その行動には頭が下がるの一言です。ニュ−スのトップに持って来た所も有り、何処の局も報道したので沢山の人が見たに違い有りません。子犬を死なすこと無く、無事救出来た事を私と同じく喜んで多くの人は見たに違いないでしょう。しかし、連日ニュ−スのトップに取り上げる事なのでしょうか?その後救出されたその子犬を飼いたいと問い合わせをして来た人が相当数居たと今朝の、ニュ−スで言ってたのを聞いて思いました。最近は悲しい事件や暗いニュ−スがあまりにも多く、特に人命を無視した様な犯罪その他のニュ−スが毎日の様に有るので、ある意味では子犬の命を救ったニュ−スをトップに持って来た事は新鮮味も有り、報道の仕方なのかも知れません。しかし、最近多い殺人、虐めのニュ−スが何処まで正確に伝わっているのかと今回とはあまり関係無くとも疑問に思う事がよく有ります。土足で他人の家へ入る様な取材も、時々目にして視聴率ばかり気にしての番組作りの様に、見なければ良いのに、見てはそう感じてます。遠くでテレビを見ている第三者にはどう伝わっているのか・・・? それはともかく、今回の子犬をあのテレビを見て、自分が本当に引き取って可愛がりたいと心底思ったので有れば、テレビで放映した事は無駄では決して無かったと思います。しかし、そう言った話題に上がった犬で改めて飼ってみたいと思ったのでしょうか。私もあのニュ−スを見て飼いたいと思ったのも確かです。ただやはり思っただけです。テレビ局まで問い合わせて欲しいとは言えません。毎年、処分されている犬猫の数減ってはいるものの数十万匹。

(1985年:約100万匹 2000年:約53万匹 2001年:約49万匹 2004年: 犬;約150,000匹 猫:約250,000匹)

それだけの数の犬猫が毎年毎年殺処分されているのは考え無い事は無いのかも知れませんが、保健所に行く犬は無視され、テレビに映った犬だけ飼いたいと思うのでしょうか?どの都道府県にも想像をはるかに超える可愛い犬達が殺される事を知らず連れて来させられているのに・・・。その一匹でも飼おうとは何故しないのか。生まれたばかりの犬猫も沢山いるのに。何の違いも無い同じ犬なのですが。子供の頃、保健所でそう言う犬を私は見てしまったせいか、時々思い出してしますのがたまに傷。皮肉交じりの私の独り言に過ぎません。




mail-a1k.gif

index_1.jpg